大学教員とパンデミック

新型コロナウイルス感染症が蔓延する状況下での大学教員のストーリー

学生に対するアンビバレントな思い

日常的に人工透析をしているため、対面で講義をしたり、個別に学生に会ったりするときには、いつも緊張しています(対面で学生と話すのは楽しくもあるので、気がつくとそうした緊張を忘れていることも多いのですが)。

また学内での学生の振るまい、たとえば食堂などで学生が大声で話をしていたり、廊下やリラックススペースなどで集団でマスクをつけていなかったりしている姿をみると、ぎょっとしてしまいます(私の職場では、地域の感染状況がまだ限定的であること、9割の学生が自宅外生であることなどを鑑み、一定の条件のもとで、学生が学内に入ることを認めています。また2021年度前期は、感染対策をしつつ対面での講義を原則とする、という方針で始まったので、キャンパス内にいる学生が多いです)。

そうした場面に直面した場合、学生と距離をおきながらすみやかにその場を立ち去るようにしていますが、そうやって学生をあからさまに避けるという自分の振る舞いになんだかなあ、と思うこともしばしばです(いきおい研究室にこもりがちになりますが、そうやって「こもれる」ということ自体ある種の特権なのだろうと考えると、それももやもやの種になります)。

私の勤めている大学の学生(だけではもちろんないですが)は、コロナ禍でアルバイトが制限されたり、仕送りが減ったりするなかで、経済的・精神的にさまざまな困難を抱えている学生が少なくないです。そうした学生の窮状に対して、可能な範囲で、支援を継続したいという思いもあります。その一方で、身近な学生の振るまいに呆れたりすることも少なくないですし、そうした振る舞いが感染・重症化リスクの高い学生・教職員を危険にさらすということへの認識を持ってほしいとの思いも強いです。

 

ペンネーム:ケタストロフィー

簡単なプロフィール:地方国立大学教員、家族は妻と子ども(小学3年生)

調子はどうですか?:ひきこもっています。